12月突入、11月までの振り返り。

師走に入りましたね。
つい先日まで、冬が来ると言いながらも暖かい気候だったんですが。

 

12月に入った途端に気温がガクッとおちて、寒くなりました。

 

さて、皆さんいかがお過ごし?

 

12月になると気分はもう「今年一年振り返りモード」。

ということで、軽く振り返ってみましょうか。

1月

今年の幕開けは波乱からのスタートでした。


昨年クリスマスイブに起きたディナー先での夫婦喧嘩…ささやきの罵倒?

 

外食先で起きた、連れ子の娘に向けられた私の悪口。
気分で一気に味覚がマヒして味がわからなくなる、というのを私は初めて体験しました。

 

その当時今振り返れば、私はもううつ気味だったんだなと思います。
精神的余裕もなくなってたし、元夫の機嫌を損ねないようにといつも気を張ってるところがあったり、愛想笑いもできなかったり、いつのまにか無愛想というか無表情に近い状況になってました。


今まともに戻ってるからわかることなんだけど。

 

その出来事が尾を引き、元旦は例年家族で私に実家に顔を出していたものの、私も元夫も、そんな気分にならず。

かといって私は自分の実家なので、夫に行くいかないの希望を聞いたうえで、娘を連れて二人で新年のあいさつに行った元旦でした。

突然の娘のパンク

1月、3学期が始まった娘。
その月末、娘はイブでの出来事から家の中の空気もよくなく、その影響は当たり前に娘にもありました。

 

月末の月曜日、私はいつも通りに仕事の為に家を出ました。
仕事へ向かう道中、泣き声の娘から電話が入ります。

「涙が止まらない」

職場に連絡して、家に引き返しました。
(私の職場は、家族を大事にしてくれる職場です)

 

帰ってみると、制服には着替えたものの、ベッドの上で動けずに目をはらした娘が居ました。

 

イブでの出来事がずっと引っかかっていて悩ませていた。
元夫にも話をして、翌日娘を実家へ移し、パンクする前夜が娘と夫の最後の時間となりました。

 

娘がパンクしたころから、同室だった寝室も、私は使わなくなった娘の部屋で寝るようになりました。

 

2月

2月頭、私は元夫に離婚の意思を伝えました。
娘を実家に移してからは、仕事の後は実家へ寄り、両親や娘とご飯を食べるまでして、お風呂と寝るため、そしてワンコたちの世話をするためにだけ自宅へ帰る生活になっていました。

そしてその間、二度目の離婚だけあって、両親に肩を持ってもらおうなんて言う考え方はなく、事実だけを伝えるように努めて、相談をしてきました。

二度も離婚はしたくなかったし、再構築はできるのか、とかも考えたけど、娘の状況を考えるとほぼ不可能だというのも気持ちの中ではわかっていて。

 

それを踏まえて離婚意思を固め、元夫に伝えました。

元夫も離婚は2回目、離婚を避けたいのは体裁の理由もあったと思います。

もちろん家庭を壊したくない気持ちもあっただろうと思います。

だけど、一度目の離婚、そして再婚に巻き込んだ娘へ向けられた肉親の罵倒は、幼くはないけれど、まだ大人になり切れていない多感な時期にはダメージも大きかったと思います。それを考えたら、元夫との家庭を維持することは娘に我慢を強いることになる。そうなると答えは割と早くからわかっていたことかもしれませんね。

 

離婚意思を伝えた翌日、私の濃厚接触自宅待機

忘れもしない2月8日。
私は、仕事の後心療内科に通院していて、その帰り道でした。

職場から携帯に着信が入っていて、かけなおすと「あなたも濃厚接触者にあたるかもしれないから、自宅待機を」と。

ここから7日間、娘の部屋で軟禁生活。
その間、元夫にコンビニおにぎりとお茶を買ってきてもらう生活で7日しのぎました。

この後のお肌のガッサガサ具合は半端なかった・・・。

そして離婚への説得。

娘を何よりも一番案じているのは私だけじゃない。
実家の両親もだ。

娘が実家へ移った時の無気力さ・無表情さに事の状況を一発で把握できたという両親。

 

これ以上一緒に暮らせないだろうというのは両親も思っていたようで。

2月末、改めて両親をともない、元夫に離婚への説得を試みる。

 

元夫も憔悴していた。

私も憔悴していた。

二人ともボロボロだった。

 

「●●(娘)が、これ以上元気がなくなっていくのを見てはいられない。(離婚を)決断してほしい」
そういったのは父だった。

 

私は元夫に対して、もう言葉が出てこなかった。
ただ付き添ってるだけの人形のように。

 

夫は「その場で決意はできない、時間をください」とその日は話が終わった。

 

3月

最初の週末、元夫からLINEがきた。
それまでの結婚生活への感謝と、離婚に応じます、という内容だった。

 

そこから家の売却の話も動き出し、仲介先を決め、それぞれの引っ越しの段取りを始めた。

 

娘はなんとか学校にも欠席したりしながら、通えるようには戻っていた。

不登校の事情も話し、クラス替えの要望として、ダメ元で仲良しの女の子と同じクラスにできるようにお願いした。

 

4月

4月中頃、元夫も私も自宅を出た。
そして不用品処分と掃除をして、内覧がはじまる。

 

娘は受験生になり、仲良しの女の子と同じクラスにもしてもらえ、だんだんと笑顔が戻ってきた。

 

5月

家の内覧が複数で入るようになり、並行して私が管理していた家計の元夫名義分の銀行引き継ぎ手続きや、6年乗っていた私の普通車を、諸々の事情で軽自動車に乗り換えたり、とにかく事務的なやり取りばかりを元夫と繰り返していく日々。

 

だんだんとお財布が分かれて行くあの感じ。「あ~離婚するんだなぁ」って感じでした。

 

そして家の購入者が決まり、契約に向けて動き出しました。

 

6月

ひたすら家の売却に必要な書類を用意したり、印鑑忍足の手続きに追われる一か月。

そして新しく乗り換える車の納車。

 

7月

私の引っ越しとほぼ同時に実家に越してきたワンコ2匹。
久しぶりに元夫と再会したワンコ(黒)は、あまりの嬉しさに絶叫してました。

そして離れた後も興奮しきりで落ち着くまでに大変。

犬はしっかり覚えてるんだな、引き離してしまった人間都合に申し訳なさも。

 

そして「家の売却金をいくらでわける?」
生々しいお金の話になります。

私もいくらか持ち分が土地・建物ともにあったので、それぞれの割合を建設当初の金額から計算して、そのパーセンテージで売却金のうちから自分の持ち分を分けてもらうことに。

 

そして、離婚届提出

月末に、届け出を出しました。
とても天気のいい日でした。

門出にふさわしいお天気でさわやかな朝です。

 

ここから怒涛の「名字変更に伴うあれこれ手続き」がはじまります。

 

名字が変わってすぐ反映されるのは「住民票」これはとても速かった。
だけど戸籍の書き換えは時間がかかるとかで、戸籍謄本が必要な手続き以外から始めます。

 

8月

何度役所に行ったことか。

・児童手当の扶養者変更

児童扶養手当の新規申請

・新しい戸籍謄本取り寄せ

そして銀行の手続き、ネットでの氏名変更・・・なん十個の変更手続きでモレがまだあるかもしれないけど・・・

 

分配のお金も入り、昨年始めた歯列矯正のデンタルローン、車のローン、すべて完済して借金もゼロにできました。

 

9月

2学期に突入、いよいよ娘も受験モード本格化。
夏休みから始めた塾も通常授業開始。

 

私もようやく、実家の自室が片付いてきたころ…。

 

10月

8年間の贅沢な暮らし感覚が抜け切れていない私。

やたら無駄なお買い物が多く…。だけど実際新しい環境に応じてどうしても必要なものも出てくるし。

そして戸建てにあった荷物を洋室一間に収めようっていう無茶苦茶な状況にものすごくせまい部屋で非常にストレスを感じておりました…。

 

11月

実家に戻ってきて長い事悩んでいたロフトベッドをついに購入を決めました。
平面的に広げるものが多すぎて、狭すぎる部屋に限界だった私。

横がだめなら縦に置くしかなく、寝床を上にあげて、その下スペースも活用しようと。

 

色々思うところもあるけどどうしようもなくて。

 

寒くなってきて、娘と一緒にお風呂に入ることが増えました。
進路の話、友達の話、娘とのコミュニケーションタイムになってきたかな。

 

娘も嫌な顔せず一緒に入ってくれるからこの時間大事にしたいな。

 

年末に届くロフトベッドに備えてまた年末は掃除したり断捨離した理になりそうです。

今年の冬は関東にいる弟家族も帰省はしないという事なので、帰省の際に泊まる部屋もつかって片づけ頑張らなくては。

 

そんな感じの11月まで一気振り返り。

娘も今年は一年がいつにもまして早かったと。
私も同じように感じてる。

 

経済水準はガクッと下がり、外食も減少。旅行も1年半以上いってないはず。

コツコツためてた旅行貯金を来年は娘と行けたらいいなぁ~。

 

来年は収入も増やしたい。

贅沢を知ってしまった私ももう少しセーブもしたい。

 

独身になったことで自由を得たというところでは、あれこれやってみたいなぁと思います。

 

何げに地元で歴史ある企業に勤めてた元夫の顔を汚すわけにもいかないとちょっと気にしてた自分もいて、自由ダァー!と叫びたい自分がいるのもほんとの話w