ジユウ
私は独身でオトナです、既婚者じゃなくなりました。
私は母です、でも父である夫はいません。
大人として恥ずかしくない程度には生きていきたいと望んでいる次第です。
娘にとって恥ずかしくない「母」では努めようと思っています。
何が言いたいかって?
生き方も消費も恋愛も…
前に離婚した時も思ったけど。
「自由」って裏を返せば「責任」でしょ?
既婚時代は、たとえ友達でも仕事以外で男性と二人で会うことは避けてました。
倫理的に誤解を生む行動は避けとくべきかなとおもってなんとなく私も嫌だったもんで。
その時のパートナーが嫌な気持ちになることはしたくない、たったそれだけのことだったんだけど。
でも今となっては私に興味なかったから関係なかったんじゃーん!と思ってる私もいるけどね。
(・・・あれ?私が仮に浮気とかしてたらどういう反応してたんだろ。)
けど、それももうないのか―と、同級生の男友達とお茶をする約束しながら思ったんです。
ワタシは「ワタシ」なもんで恋愛は繰り返す
自分の足で立って生きていけるように、何て言いながらもそれは経済的な話で。
私は一人で「居たくない」けど、娘の邪魔・荷物にも将来なりたくないので、拠り所は欲しいと思ってて。
だからきっと恋愛は未婚時代と変わらず繰り返していく。
もうそんなことは自分がよくわかってるんだけどさ。
人の情のぬくもりが恋しいんですよ。
最後の3~5年はさみしかったんだもの。
欲しくなっても仕方ないじゃん(開き直り?。
消費だって私の自由だ
これまでも自由にさせてはもらっていたが、経済的には不自由なので、欲しいもの=買えるものではなくなった。
その分吟味して消費しないといけないんだけどね。
車検を迎える前に車を買い替えていた2号さんを、外車を見るたびに思い出すんですよ。
お金に余裕ができたらアウディとかのってみとく?とか妄想するんだけど、そんなことなら、実際に経済力付けた後に、高級車とツーショットとるだけでなんか達成される程度のもんなきがするのでどーでもいいや!ってなっちゃったしw
私が欲しいのはツーリングワゴンなので。
いつか自分で乗りたい車を選べるまでがんばったら、
カローラツーリングワゴンが欲しいと思ってるんだな。
今も軽自動車だけど内装かなりいいグレードのってるのでこれはこれで満足だけど、走るのは楽しくないのです。
なーんて贅沢わがままですがね。
今やるべきは、稼ぐための基盤づくり
お金ができても設備投資にしばらくお金がかかりそうだな。
仕事を増やしたいから、パソコンもスペックあげたものを買いたいし。
そして限られたスペースでお仕事もできるように部屋を改造しないといけないし。
勝負は3年、勝手に決めてる自分への目標。
お金がないときほど欲しいものって増えるもんだよな。
結婚を2回も、そして離婚を2回もしていたら
学ばないとです。
はい、結婚は向いていません!
その理由?私はきっと決断を急いでしまうからだ。
離婚を考え始めるよりもずっと前から、私には心強い女友達が数名いる。
優しくて、いくらでも話を聞いてくれるし、認めてくれる、大切で大好きな親友。
気にかけてくれて声をかけてくれる友人が複数いてくれる自分に、自信を持とうとはよく思っているのね。
でも、バツ2の私はやっぱりまだ凹んでます(苦笑。
「それでいいんだ」
私、「ひとりが嫌」なのよ。
この言葉、いうのが恥ずかしくて出てこなかったのね。
それを言葉に発することが
「2度も離婚しておいてまだそんなこと言ってるの?」
ってあきれる自分もいるんだよね。
私自身、もちろん経済的自立は娘の為にも、使命として達成しなくちゃ。
でも精神的に寄りかかれる何かが欲しくて。
別にまた結婚するつもりでいるわけじゃないんだから、
「ひとりがイヤ」くらい別に言っていいんだよね。
だって心細いものは心細い。
何気なく自分の記事を読み直し「#バツ2」というタグからよそのブログをお散歩してきたらこんな記事を見つけました。
50代女性の離婚と死別を経験された女性の記事なんですが。
そのなかに
パートナーを見つけたい
というワードがあって。
あーそっか、別に求めることは悪いことではないのかも、と思って。
ひとりがイヤなことは私だけじゃないか、とラクになれたんです。
脳内ヒッキーにも一筋の光がちらっと差し込んだ気がする。
そんなつぶやき。