将来に形を求めない関係
これからも何度も書くであろう「バツ2」。
恋人ができても、結婚を望まない=パートナー関係の継続。
そこにあるものは信頼。
切ろうと思えばいつでも終われる関係を続けていく、なんとも脆いような強いような…。
絶望の理由
私が再離婚ののちに感じた絶望は、
「ひとりで死んでいくんだな」
と思ったから。
もちろん娘はいる。
だけど娘だって自分の世界を築いていく。
「じゃぁ私自身の世界は?」
と考えた時に、そばで看取ってくれる人はほかにいるのだろうか、と思うのよ。
「死」を考える時
「死にたい」の「死」ではなくて、
誰しもに訪れる「いつかの死」の事ね。
子供のころに「死」を理解して、時々怖くなるのは今も変わらない。
私が死ぬとき、誰が悲しんでくれるだろうともよく考える。
私はね、人は死ぬときにその人の価値や徳が参列に現れると思っている。
某女優さんが、某俳優さんと結婚した後のフリートークで言っていた。
「あ、もうこれで私一人で死ぬことはないんだな」って。
同じように考える人が居るんだなって思ってとても共感した。
「ひとりでいるのがイヤ」
先の記事にも書いたけど。
これまで、自分でわざわざ言う事もあんまりなかったけど。
私、相当なさみしがりなんです。
先日、他人からも言われて認めるしかないな、と思う機会もあったんだけど。
もちろんひとり身になったことで強くならなくちゃって思ってるところもいる。
でも一人で居て、心が冷えてしまうこともあって。
それを温められるのって家族とか他者から受ける「情」だったりする。
心が冷えてしまうことがイヤなんだな、私。
今ここを書きながらそう感じてる。
冷える=さみしいんだよね。
カタチを求める自由と前向きさ
バツ1までは、再婚の可能性にだって前向きだったけど、バツ2にもなると、もちろん上には上がいることもわかってる。再婚、再再婚…バツ3,バツ4…。
でもまた結婚すればまた離婚する可能性が生じるわけだから私はもう二度と結婚はしない、と決めてる。
結婚、出産、離婚、子連れ再婚、再離婚。
頭ではわかっていても「どうして私がまた離婚することになってるんだ」って思ってるところもあって。
今はもう結婚とか戸籍をこれ以上動かしたくない気持ちがものすごく強くて。
でも形を求めないことが時に不安を生むことも想像は点いていてね。
それにさ、もう40超えて。
それでいて年上が好きだと、自分の年齢からしてアラフィフ以上になるわけで。
そしたら老後・介護とかもちらつく世代になってくるし。
結局私はこれ以上今何かを望んでも前向きに思える現実ってかなり少なくなったんだなって思うのよ。
そうなると、…ね。
これかもしれないと思ったら、それへの執着も強くなってしまうのも事実だよな。
私の人生…まだ折り返しくらい。
どうなっていくんだろ…前半色々ありすぎてる、マジで。