ヘルパーズ・ハイ

この言葉を知ったのは最近の事。

”ヘルパーズ・ハイとは”
ヘルパーズハイとは、人を助けたり、親切にすることで幸せを感じることを指します。 

人にやさしくするとで幸せになれるという考え方を、上手に表現しているよい言葉ですね。

https://tokumoto.jp/2016/02/14487/

人の役に立つことに、幸福感を感じる事らしいのですが。決して人の「人の不幸は蜜の味」なんて思ってないけど。

だけど元気のない人が、元気になるのはとっても嬉しい。そのことに自分が力になれたのならなおさら嬉しいとは思ってる。

私の取柄は、優しさくらいしかないんだろね。

歳を重ねていくにつれて、自分も含め体調を崩したり、取引先の担当の方が突然亡くなられたりと、「人生の後半」を痛感する出来事が増えてきて。

葬儀の話とか耳にすると、いつかの私の葬儀にはどれだけの人が来て、悲しんでくれるのかな、とか思っちゃったりして。

たくさんの人に囲まれて見送られたいとか潜在的に思ってたりするんだろうか?
だから優しさという名のナニカをばら撒いてるんだろうか。

とか考えてしまう。

私の物事の考え方は、目線が時間に比例してドンドン根本へ後退していくから、悪い事ではないだろうけど一向に進まない(^^;

毎年9月から11月は、私にとっては情緒不安定で裏目に出るばかりの「魔の秋」なんだけど・・・いや、裏目に出る事が多くてうまく行かないから情緒不安定になるともいえるんだけど、とにかく何でもかんでもうまく行かないのが「秋」。

そんな秋は、自分自身の事はほとんど「はじめない」「とりかからない」「我慢する」に極力徹している。

この期間、行動は起こさない分欲求は高まるので必然的に「考える事」が山ほど増えてくる。悩みも勝手に大きくなっちゃったりもする。
解決したくてスッキリしたくて、動きたくなるけど、「ここはガマン。。。」

そうしてやっと11月もまもなく後半、やっと魔の秋が終わりを迎える。
不調の余波は大抵12月上旬まで引きずるけど、「終わる」と思えば気持ちは軽い。

今年の秋は、相談される事・人の話を「聞く」ことが多かった。

自分の事は何も手が付けられないから、他人の力になることに徹している。
少しでも気持ちが軽くなれば、そんな思いでね。

(…毎年、相談してきてくれる人数が増えてきてる気もするなぁそういえば。)

秋の乗り越え方に気づけてから、ヘルパーズハイにもなってるのかもなぁとおもうんだよね。

何をやってもうまく行かない秋、打破してやろうともがく時期もあったけど、ことごとく悪化するだけ。
「そんな時期は動かず、頭の中だけを最大限に動かす」と知ってからは、行動力やアイデアの充電期間とポジティブに認識するようにしてる。

おかげで、行動を控えるようになってから現在まで、秋は割とマシになってきている。

で、思考の充電中は、自分自身のアクションは起こさないからその分、他人の力になれるよう頑張ろう、と。

「徳」の充電期間でもあるのかもしれないな、と最近は思ったりもする。
もちろんそんな、八方美人的に行動を考えて決めてるわけじゃないけどね

日々、誠実に生きる事。
大切に思う人たちの幸せにつながりますように(偽善者っぽい?w)